海からの贈り物(塩の話)

海からの贈り物 友人から強く勧められて、『クリスマス島 海の塩の会』に入会した。入会金の千円を振り込んだら、丁寧な礼状と五百グラムほどの塩が送られてきた。それまで、塩は何のこだわりもなく、化学的に処理された食塩を調味料として使っていたのだが…

風と共に・・・

『風と共に・・・』 長谷川 静 中身より字の大きさで選ぶ本 有料老人ホーム協会のシルバー川柳入選作品だ。これは然り、私も、特に目を患ってからは、大活字本コーナーで選ぶ。また、本の厚さや重さも選ぶ要因だ。さらに書店で購入するときは値段も重要な要…

ああ、無情

ああ無情 「お客様、パスポートと航空券を拝見します」 若い女性のグランドスタッフの声。 「はいはい」返事より早く右手が伸びる。 姉妹都市提携三十周年記念事業でニュージーランド(NZ)のネィピア市を訪れる市民訪問団に加わった私は、朝、一行四六名の一…

子別れ

苫小牧に住み始めて二年目の夏、北海道の臍といわれる大雪山にでかけた。大雪山といっても、ひとつの頂がある訳でない。主峰は旭岳(2291メートル)で、いくつかの峰々が連なる連山であり登山愛好家にとっては格好の縦走コースだ。近年は、表玄関が旭岳…

IKADA

クラスメートの男子二人の様子が変だった。授業が終わるや、勇んで教室をとびだしていく。 計画を練って綿密に準備をするような彼らではないのに、柄にもなく地図を持ち出したり、天気を気にしていた。何か突飛なことを目論んでいるに違いない。決行する前日…

みのり

昨年の春、桜が散ったころに父は彼岸へ旅立った。去年から追悼文集やアルバム作りをしながら父のことを懐かしく思い出す。同居もしていなかったので、いつもは頭から離れていたくせに、もう居ないのかと思うとたまらなく悲しい。 享年九十七歳、家族のために…

もの・もらい・・・

父が中年になって、糖尿病を患っていた。合併症も見られなかったから母の食事制限の苦労や生活管理が大変だったのも知らず、高齢期になっても元気な父を見てたいした病気じゃないと、侮っていた。 私が糖尿病が怖い病気だと認識したのは、アメリカ映画「マグ…

みちゆき

『木曾路はすべて山の中である。あるところは 岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり・・・一筋の街道はこの森林地帯を貫いていた』 島崎藤村の長編小説、『夜明け前』の冒頭の文章だ。 私は、この文章に魅かれて旧中…

涙ぐむ眼

今年も9月14日がめぐって来た。苫小牧から1時間半、穂別の富内、風にそよぐコスモスと豊穣の波、大きな虹が山間にアーチをかけて歓待してくれた。賢治観音堂にいくと、今年は初代の横山村長の37回忌だそうで、札幌に住む娘さんがご主人と参っていた。穂別…

私と音楽 

私が生まれたのは、戦後間もないころで、家は昭和の始めから、映画館を経営していた。敗戦で疲弊しきった人々にとって娯楽の中心は映画だった。町で唯一の館は押すな押すなの大盛況で、映写技師以外の仕事は祖母や母も手伝っていた。赤子の私は、母に背おわ…

しーちゃんの夢

孫娘、ハンナとのたわいもない会話は楽しい。 「しーちゃんの夢はなあに」 唐突な質問に私はうろたえた。思わず 「ええ!忘れちゃった」 「どうして忘れちゃったの?」 「眠っているうちに夢を食べる怪獣のバクに全部たべられちゃったのよ」 「私が聞いてい…

黄落のとき

シルバーウィーク,両親に会うために帰省した。故郷は甲府盆地の南端に位置し、富士川の河岸にある市川大門町。中世以来の和紙生産と江戸時代からの花火の産地であり、夏の神明の花火で知られる。その町に94歳の父と89歳の母が妹夫婦に助けられながら肩を…

蝉 苫小牧の市街地に住んでいた去年の夏は、蝉の声など一向に気にならなかった。ところが今年は関東の南に居るせいか、それとも記録破りの暑さで蝉が大量発生したのか、耳を劈くばかりの蝉の大合唱に閉口した。『蝉時雨』は夏の季語だが、連日の蝉の合唱は、…

蝉 苫小牧の市街地に住んでいた去年の夏は、蝉の声など一向に気にならなかった。ところが今年は関東の南に居るせいか、それとも記録破りの暑さで蝉が大量発生したのか、耳を劈くばかりの蝉の大合唱に閉口した。『蝉時雨』は夏の季語だが、連日の蝉の合唱は、…

人生の勝負服

NHKの朝ドラ『カーネーション』を日課のように観ていた。ファッションデザイナー、小篠綾子さんをモデルにしたストーリーだ。綾子さんには、亡くなる半年ほど前に、私が関わっていた女性の会主催のト−クショー「肝っ玉かあさんの一代記」に出演していただ…

ひとつの楽しみ 

物事を調べることが好きだ。知らない言葉や知らない話が出てくると俄然、好奇心が沸きあがる。解らないことに出会うと、心がワクワクしてくる。調べることは楽しく解ったときの喜びは何ものにも替え難い。 子どもの頃は,読み物も少なく活字に飢えていて、読…

初舞台

アメリカに住んでいた頃、五十五歳の私は、芝居の初舞台を踏んだ。ルイビル大学の教授でコンテンポラリー(現代劇)劇場の演出家のバート氏に「脚本が日本人なので、どうしても日本人の出演者が必要だ」と懇願されて首を縦に振ってしまったのだ。 劇は、清水…

伝えること

今から15年前、私は小さな学童保育所の指導員をしていました。夏休みにPTAが学区の小学校の体育館で、「はだしのゲン」というアニメの映画会をするからということで、声がかかり、私は20人の子どもを引き連れて参加しました。 「はだしのゲン」は、広島…

旅は楽し

旅の醍醐味 人生そのものが旅であるともいわれるが、これまで修学旅行、新婚旅行、家族旅行、研修旅行などいろんな旅をした。私は、予定でがんじがらめの集団旅より、行きあたりばったりのひとり旅が好きだったが、年齢を重ねるにつれて、遠くにでかけるには…

花火

花火 長谷川静 八月七日、私の故郷の山梨県市川三郷町では『神明の花火大会』がある。今は花火大会も各地で盛大に催されるから、その座を譲ったが、神明の花火は江戸時代から日本三大花火大会の一つだったそうだ。市川は、和紙作りが盛んだったから、和紙を…

菊芋

和歌山の生んだ知の巨人、南方熊楠の信奉者で、生物学者のように草花や樹木に精通している友人がいる。今は無二の親友だが、知り合ったころは、ずばずばものを言う人で苦手なタイプだった。さほど親しくないのに私のことを「あなたは花にたとえれば菊芋ね」…

Hさん

苫小牧から離れて一年、いつも何か起きてやしないかと気になるが、幸い全国版で取り上げられるような悪いニュースは入ってこない。ただ、親しくお付き合いして頂いた方々の訃報には耳を覆いたくなる。(アマ)ダンス連盟の会長だったIさん、いつも食事を賄っ…

人形交流の光と影  ①ミス富山との出会い

10年前、夫の海外駐在に伴って渡米し、アメリカ中西部のルイビル市の郊外に暮らしていた。そのころ、NHKの「歴史への招待」を読み、日米親善交流のために日本から送られた市松人形が近くの美術館にあったこと、まもなくオハイオ川の洪水で水没したを知…

ベースボールウイドウ

梅雨なんだから、雨が降ればいいのに、なんと朝から青空だ。夫は私が眠っているフリをしているのもわからないで、ユニホームを着て抜き足差し足で出ていった。せっかくの日曜日、私は一人ベッドに残された。 庭の草は伸び放題。梅雨の晴れ間とあって、いやで…

シャル ウィ ダンス

泉田さんは、苫小牧市のアマチュアダンス連盟の会長である。停年退社して、打ち込む趣味もなく過ごしていたある日、お連合いのりょうさんから、趣味で通っている社交ダンスのサークルに男性が少ないから参加して欲しいと懇願されて一念発起した。 六十の手習…

れいとレイナ

学生時代の友人のれいがネイピアに住んでいる。苫小牧、ネイピアの姉妹都市交流30周年記念の訪問に参加したのも、27年ぶりに彼女と会いたい思いに駆られたからだ。 れいとは大学で同じクラスだった。変わった子で遅刻は多いし、授業はよくサボるけれど成…

友情

金子堅太郎は佐賀県の出身。明治の初めに、岩倉具視一行が海外視察に出かけたとき、同行し、米国の名門、ハーバード大学に留学した青年である。このとき留学した津田梅子や大山捨松等、五人の少女の話の方はあまりに有名だ。 ハーバードに着いた時、金子はち…

裕ちゃん

北海道に転居してすぐに小樽の裕次郎記念館を訪ねた。たしか、神戸に生まれて逗子に転居する間、裕次郎が9歳まで小樽に住んでいたということで建てられたそうだ。♪『北の旅人』が流れていて使っていた車、衣装やグッヅが並んでいた。私は、逗子こそが裕次郎…

青山あり

十年前、苫小牧駒沢大学国際センター長の先生の下、私はスタッフとして働いていた。第一印象は怖かった。にこりともせず厳しい物言いをする。特に怒るとすさまじい雷が落ちる。 「役に立たないものは出ていけ」 と、事務室を追い出された先輩もいた。先生の…

諸刃の剣

1999年秋、北海道男女共同参画リーダー研修でドイツ・フランスを訪れた。その中に自分たちで企画するプログラムがあり、私と3人の仲間はミュンヘン市内にある「同盟90・緑の党」(以下、「緑の党」) のバイエルン本部を訪れた。緑の党は特定の政治思想…