諸刃の剣

1999年秋、北海道男女共同参画リーダー研修でドイツ・フランスを訪れた。その中に自分たちで企画するプログラムがあり、私と3人の仲間はミュンヘン市内にある「同盟90・緑の党」(以下、「緑の党」) のバイエルン本部を訪れた。緑の党は特定の政治思想に共鳴する人々の集団というより、『環境を守る』ということで結集した市民政党で、1998年、社会民主党と連立し政権政党の一翼を担い3人の閣僚を創出していた。
 郊外のビル、緑の党の本部で、女性の代表〔男性代表もいる)と事務局長が、私たちを迎えてくれた。事務所内を見学し、約一時間半、面談した。緑の党の提唱する男女平等の実践や議員のクオータ制の話だったが、最後に代表が
「JCOの事故、日本では大変だったわね。INES(イネス)は、レベル4でしょう」
 と、東海村JCO臨界事故に話を向けた。事故は、2ヶ月前、東海村の事業所で作業員が硝酸ウラニルを製造中に臨界となり、多量の中性子線が放出され、半径10km圏内住民(約31万人)が屋内退避、結局、作業していた2人が強い中性子線で被曝して亡くなり、667名が中性子線を受けた。イネスは、トラブルが起きた場合、国際原子力機関IAEA)がだす「国際原子力事象評価尺度」のことで、0〜7までの8段階で、事故の大きさを示す値だ。
 彼女は、
チェルノブイリ事故のときはレベル7、ここミュンヘンでも、放射能が飛散したので、子どもたちが遊ぶ砂場の砂まで全部変えました。もちろん、数ヶ月は牛乳を飲まなかった。原子力の問題は自国だけのことではすまないのです。社会民主党緑の党の連立政権は、2020年までに原発廃止を決めました」
 と続けた。
 あれから、12年、今年の3月11日、東北沖を震源とする大地震津波に襲われた。福島第一原子力発電所で「原発事故」が起こり、今は、メルトダウンは免れているが、放出された放射能は大きな問題を引き起こしている。イネスのレベルは、当初暫定的に5だったのが、上方修正されて、チェルノブイリ事故と同格のレベル7になった。
 津波でバックアップ電源が使用不能になり、原子炉が発熱し水素を発生、爆発が起こった。放射能を含む水が海に流れ出、空気中に飛散した放射能は農作物に汚染した。半径20キロの原発周辺の住民の人々は、着のみ着のままで避難して、大変なご苦労・ご心配をされている。また、次々起こる重大なトラブルに、被ばくを覚悟で、なんとか原子炉が暴走しないように決死の作業を続けている作業員の努力には頭が下がる。なんとか終息してほしいと世界中が固唾を呑んで祈りながら見守っている。
 今、ドイツでは緑の党は、政権政党ではなくなっている。世界的に2000年代当初から地球温暖化が注目されるようになり『二酸化炭素を出さない原発へ』という化石燃料から原子力への転換が見直されてメルケル首相率いる現政権も、2010年秋に前政権が決めた撤廃を翻し、原発稼働延長を決定している。
 ところが、日本の事故のニュースが入るや、政権は、古い炉の3カ月の暫定停止を決めたものの、3月27日にバーデン・ビュルテンベルク州議会選挙では、反原発世論が高まる中、緑の党-社会民主党が勝利し、ドイツ史上初の緑の党出身の州首相が誕生することが確実となった。今回の選挙結果はメルケル政権にとって原発政策見直しの大きな圧力になるだろう。
日本でも、諸刃の剣である原発を『科学は自然に負けた』と引き下がり、今までのように豊かな電気に依存した生活を断ち切るかどうかを決める時がまもなく来るだろう。どちらを選ぶかは、私たち国民にかかっている。
 ミュンヘン緑の党の事務所の前で、別れ際に代表が
「日本のことはあなたたちに任せましたよ」
 と、私の肩をたたき握手を求めた。突然で即答できなかったが、強くその手を握り返したことが、思い出される。