風と共に・・・

『風と共に・・・』
長谷川 静
中身より字の大きさで選ぶ本
有料老人ホーム協会のシルバー川柳入選作品だ。これは然り、私も、特に目を患ってからは、大活字本コーナーで選ぶ。また、本の厚さや重さも選ぶ要因だ。さらに書店で購入するときは値段も重要な要素になる。
私の書棚で、まったく反対に、字が小さく厚くて重くて、どこで買ったのか、まるでおぼえていないが、堂々としているのが『風と共に去りぬ』の続編、『スカーレット』だ。ツンドクだけで終わらせてはと、棚からとり出した。ずっしり腕にくる。著者はアレクサンドラ・リプリー、訳者は森瑤子、重さは一、二キロ、厚さは八センチ、一〇九八ページ、値段は四八〇〇円。
マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』は、一九三六年刊行だから、八〇年近くも昔。今も、読み継がれて増刷や新訳が書店に並ぶ。南北戦争を背景にして生き抜く南部の強い女性、スカーレット・オハラが主人公だ。私は、小説より、むしろ、映画のヴィヴィアン・リー演ずる大輪の真っ赤なバラのようなスカーレットに心奪われた。  
映画を初めて観たのは、高校三年生のとき、家の近くの映画館だった。休憩をはさんで約四時間あまり、たしか、終わって館を出たら、薄暗くなっていた。帰ると母から『図書館だったの。目が真っ赤よ。お疲れ様』といわれ、映画を観ていたとは言えず、顔を伏せていた。
ストーリーはいうまでもないが、一人の女性の人生を主軸にして、奴隷制度を持つ南部の階級文化が、戦争という烈風と共に消え去り、荒廃や混乱の中から、新しい再建の希望を残して終わる。プランテーションでの豪華なパーティやアトランタ炎上のシーンに驚嘆。男たちに取り巻かれて華やかに振舞うスカーレットの姿が浮かぶ。
映画の翌日、授業中に映画に一緒に行った悪友のネコから、レットとアシュレ、どっちが好きなタイプ?、とメモが回ってきた。早熟なネコはレット、初心(うぶ)な私はアシュレ、私たちは世の中には、まるでこの二つのタイプの男性しか存在しないように激論した。結局、それから十年後、ゆえあって、憧れのアシュレとはほど遠いところで手を打ったが。ネコもレットとはま逆な年下の男性と結婚したとか。
さて、その後のスカーレットは?これは、多くの読者や映画ファンの関心事だった。マーガレット・ミッチェルは、『あれは完結した物語』といって続編を書かなかったそうだ。私は何回か、ビデオを観ては、続きを想像したものだ。
一九九一年、続編、『スカーレット』がアレクサンドラ・リプリーによって書かれ世界中で翻訳され、日本でも、作品のできあがる前から新潮社と契約をしていた森瑤子により翻訳された。私の手元にある本だ。映像化もされた。
物語は、舞台をアイルランドに移してさらに彼女を成長させる。子育てしながら自立して運命を切り開いて行くスカレーット。しかし、最後はよくある恋愛物語のようにハッピーエンドで・・・TVドラマだったせいか、私が歳を取ったからか、少女のとき田舎の映画館で観た強烈な印象とは違って少し、物足りなかった。前編の背景に流れていた時代という疾風が、すべて吹きとばしてしまったのかもしれない。
森瑤子さんは一九九二年末にこの本の訳本を刊行して、翌年七月に亡くなった。最後の大仕事だったのかも知れないが、風は彼女をも彼岸に運んでしまったようだ。
私は『スカーレット』(四部構成)の一部だけを読んで本棚にもどした。全部読みきるまでは生きなければと思いながら。