子別れ

  

苫小牧に住み始めて二年目の夏、北海道の臍といわれる大雪山にでかけた。大雪山といっても、ひとつの頂がある訳でない。主峰は旭岳(2291メートル)で、いくつかの峰々が連なる連山であり登山愛好家にとっては格好の縦走コースだ。近年は、表玄関が旭岳ロープウエィとすれば、裏からは黒岳ロープウェイが山の中腹まで運んでくれるから、登山の楽しみばかりでなく、夏には山に咲く花々、秋には道内で一晩早いといわれる紅葉を楽しむ多くの観光客が訪れる。私はそんなお気楽な観光客のひとりだった。
旭岳ロープウェイで上がって、頂上までは登らず、池を巡って、イワカガミやシャクナゲチングルマといった高山にしか生息しない花々を楽しんだ。弁当を食べ終わってなにげなく前方をみると、二〜三匹のキタキツネがじゃれあっている。しばらく眺めていたのだが、ふざけて遊んでいるというより、決死の様相で自分のテリトリーに侵入するものと闘っているように見えた。近くにいた人たちが誰ともなく『子別れだ・・・』とつぶやいた。
キタキツネには苫小牧から支笏湖まで勇払原野を貫く道で何回か遭遇したことがある。もともとあった獣道を分断するように道路を作ったせいなのだろうか、早春、あたりが唐松林のやわらかな新緑に覆われる頃、親ギツネが子ギツネを率いて道を横断する。夏の終わり頃になると、キツネは、独り立ちしたのか、一匹で歩いている姿を見かけた。冬になると、エサを求めて人家まで降りてくる。やせ細った姿には憐憫の情がわくが、下手に手を出したり物を与えたりしてはいけない、と友人に忠告されていたので、キツネと会っても眼を合わせないようにしていた。
『子別れ』ということばは、話好きのその友人から詳しく聞かされた。春、生まれた子ギツネたちは、母ギツネの温かい愛情に包まれ育てられ、自立のための様々な訓練を受ける。そして、夏の終わりの頃、母ギツネに突き放される日が来る。子ギツネが巣穴に入ろうとすると、母ギツネは狂ったように彼らを追い払おうとする。子ギツネは思いもよらない出来事に当惑し、何度も何度も哀願して巣穴の中に入ろうとするのだが、母ギツネは徹底して彼らを拒否する。子ギツネは、突然、家族と一緒の安全な幸せな暮しから、それまでに味わったことのない外界の厳しさの中へ放り出されて生きていかなければならない。あるものは、吹雪の中で食を失い、あるものは天敵に襲われ、また人里に降りて輪禍にあって死んでゆく。
「自然界は厳しい、特に北海道の冬はねぇ。生き残れるもののほうが稀なのよ」と彼女は結んだ。
私はしばらく放心したように子別れの儀式に見とれていたが、ふと、眼をそらした瞬間に、キツネたちは視野から消えていた。子どもたちはこんな山中で放逐されたのだろうか。無情なことだ。
人間の子どもたちは、親に甘え親もまた子どもを過保護といわれるほどに溺愛する。その愛は際限がなく、入学式、卒業式はては、入社式にも付き添っていくとか。学費はもちろん、過分な生活費、分不相応な結婚式、新居や新所帯の家具等など、親から多額の援助を受ける。それらを親子とも当然と考えている。
ニートやパラサイトシングルといわれる親に依存し続ける若者の出現には驚かされる。子どもたちに苦しい体験はさせないで豊かな生活をと願うのも親の愛かもしれないが、キツネの『子別れ』のように深い愛情をもって子どもたちを突き放して自立させていく子育て、わざと試練に遭遇させて生きていく力を与えるといった母親の愛に、私たちは、学ぶものがあるような気がする。
我が家では娘が離婚して一歳だった子どもを元夫に取られ、今は、都心でひとり暮らしている。娘の『子別れ』を思うとあまりに不憫で切ないが、そのぶん、子どもは、私にとっては顔もわからない孫だけれど、強く逞しく育ってくれていることと信じている。
今夜は啓蟄、春は遠い北海道はまだまだ冬ごもりだ。夜半に雪が上がり冴え冴えと星が瞬いている頃、山野で餌を採ることができないキツネが食べ物をさがしに里に下りてくる。雪の上に残ったキツネの足跡から少し離れたところに複数の足跡を見かけることがあったが・・・。こんな夜、子ギツネを案じた母キツネが黙って見守っているのかもしれない。
十時か、まだ、寝てはいないはず。夕飯は食べたかしら、風邪でもひいて寝込んでやしないかしら、『子別れ』できない母は、娘を案じて携帯を引き寄せる。