2011. WC観戦記


昨年の秋、苫小牧市姉妹都市交流訪問でネイピアに旅行、誌上でも暴露したが、往路での悪夢のような出来事(パスポートを忘れた)を、払拭させるような、美しい風景、おいしい料理にワイン、人との交流と、私は、すっかりネイピアに魅せられ、そこを夫につけ込まれた。いつになく優しい声で
「ネイピアにラグビー観に行かないか」
「えっ、ラグビーか、ネイピアには行きたいけど・・・」
グルメ旅行やショッピングならまだしも、ラグビー観戦のために海外旅行かと一瞬考えたが、
「旅費と宿泊費はこっちもち」の一声に二つ返事でオーケーした。 
今年は、4年ごとに行われるラグビーワールドカップの年、開催国はニュージーランド(以下NZ)であり、代表20ヵ国のチームが各地で対戦していた。
何といってもご当地NZは、スポーツといえば、まずラグビーオールブラックスの名前と彼らが試合開始前に自らを鼓舞するための先住民・マオリの闘いの舞い、『ハカ』は私でも知っている。偶然にも、日本対カナダ戦がネイピアで開催されるという。
夫は、学生時代からのラガーマンで、○×興産ラグビー部でも選手として活躍した。第1回のワールドカップの時は、幸運にもシドニーに駐在していたから、豪州各地で観戦している。今回もと、出かけるチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。
9月24日、私たちは、日本対カナダ戦が開催されるネイピアに飛んだ。早春のネイピア市街は、花々が咲き乱れワールドカップ一色で賑わっていた。街の目抜き通りにはカナダ、日本と歓迎の垂れ幕が掛けられ、ショーウインドーや店内に日の丸やカナダ国旗が飾られていた。昨年、石渡さんがネイピア市に寄贈した打掛も、シティホールから、通りに移されて飾られていた。往きかう車の窓には応援する国の国旗が取り付けられ、私たちもレンタカーの窓に日の丸を掲げて走った。
27日、ネイピアのマクレーンパークは快晴だった。日本のサポーターもたくさん集い、観客席も両国の国旗であふれていた。会場には『上を向いて歩こう』が流れる。ネイピアが日本と姉妹都市ということより、NZのラグビー界のスターだったジョン・カーワンが日本チームのヘッドコーチということが多くの注目と現地の応援を集めたと思う。
午後5時キックオフ。前半は、太陽を背に攻撃していった。前へ前へ、倒されても蹴られても大きなカナダ選手に向かって突進していく。要所でタックルも決まり、前半は、10点のリード。覇気あふれるプレーに胸が熱くなった。
さて、後半になって太陽に向かっての攻撃となる。激しいボールの応酬にどちらに応援するともなく観客席はウエイブが始まる。黙って試合観戦に没頭していた夫がいきなり大声を上げた。
「そうか、ここは南半球だ。太陽が落ちないはずだよ」
太陽に向かって立つと、日本では左から右へと落ちるはずが、南半球では右から左に落ちる。夫は、北半球にいると勘違いして、いつまでも右に陽が落ちないので、おかしいと思っていたそうだ。日本チームは真正面からの陽ざしを受け、後半は、高く上がったボールの扱いにミスが出た。
勝つはずだと誰もが思っていたのに、結局、終了10分前でトライ、1分前に同点のペナルティゴールを奪われ、結果は、23対23、前回の大会と同様の引き分けだった。引き分けだったが最後まで息をつかせない好ゲームで聴衆は大満足だった。
 試合翌朝、ホテルのロビーに、一人肩を落として座っていたカーワン監督の姿があった。過去にうつ病を患い、自身が克服した体験記を発表し、人間的にも大変立派な人とNZでは敬愛されている。
夫が
「ナイスゲーム!」
 と、声をかけると英雄がにっこり笑って
「サンキュ」
 と応じた。大仕事を成遂げた男の顔が、私のカメラに納まっている。
 13日、カーワンから日本ラグビー協会に辞意が伝えられ、契約期限の今年いっぱいで退任することが発表された。