友情

  金子堅太郎は佐賀県の出身。明治の初めに、岩倉具視一行が海外視察に出かけたとき、同行し、米国の名門、ハーバード大学に留学した青年である。このとき留学した津田梅子や大山捨松等、五人の少女の話の方はあまりに有名だ。 
 ハーバードに着いた時、金子はちょんまげを結い、着物姿だったという。むろんそのころは日本語・英語の辞書もなく、金子は途方にくれた。幸い寮で同室だったルームーメートの青年が日常の生活のことから、授業のことまで何くれとなく金子を助けてくれた。そして留学を終わって日本に帰るころは、ふたりは強い友情の絆で結ばれて、いつの日かお互いの国の友好の架け橋になろうと約して、わかれたという。
それから二十年がたち、日本はアメリカに条約改正をせまった。時の外務大臣陸奥宗光、金子はそのころ外務省で働いていたが、異例にも条約改正の日本を代表する交渉役に抜擢された。
ときのアメリカの大統領はテディ・ルーズベルト。実はこの人こそ、金子を留学時代、助けてくれたルームメートのアメリカ青年だったのだ。条約改正はなり、その後の数年は、日米の外交関係は、良好だった。 
私はこの話が好きだった。我が家に滞在していた息子が、一年の留学を終えて日本に帰るとき、最後に別れを言いにきた彼の親友であるスティーブと二人並べてこの話をした。話が終わるや突然、息子とスティーブは抱き合って泣きだした。ふたりとも、金子とテディに自分たちを重ねて感動したのだろう。
 お国のためとはいわないが、未来に志を持って生きて欲しいと思った私のちょっとしたお節介がふたりの青年を泣かせてしまった。しかし、泣いてる二人を見ながら、まだまだ今の若者もすてたもんじゃないと、すがすがしい思いがしたものだ。

葉山町御用邸にでる国道の、隧道の手前に、葉山動物病院がある。かなりご高齢だが院長の金子先生は名医と評判。通院している友人にもしやと思って訊ねたら、金子先生は金子堅太郎の息子だった。一度、お目にかかってお話を伺いたいと思うのだが、ペットを飼っていない私にはなかなかお目にかかる機会がない。