しーちゃんの夢

          

孫娘、ハンナとのたわいもない会話は楽しい。
「しーちゃんの夢はなあに」
唐突な質問に私はうろたえた。思わず
「ええ!忘れちゃった」
「どうして忘れちゃったの?」
「眠っているうちに夢を食べる怪獣のバクに全部たべられちゃったのよ」
「私が聞いているのはね、何になりたいかっていう夢で夜眠ったときに見る夢じゃないの」
「それもバクに食べられちゃって、今は何もない」
「そうなんだ。バクって何でも食べちゃうんだね。しーちゃん、かわいそう」
小学一年の孫は涙ぐんでいる。彼女にとって私はお婆ちゃんではあるが、友だち以上、母親以下の存在で、しーちゃんとよばれている。
「ハンナちゃんの夢はなあに」
きっとこうたずねて欲しくて、私への突飛な質問をしたに違いないから、すかさず訊ねた。 
「私は、ものを作る人になりたいの。たとえば洋服とかね・・・」
「ああ、それってデザイナーっていうんじゃない」
「そう、デザイナーだわ。かわいい洋服いっぱい作るの」
着せ替え人形の洋服じゃあるまいし、ま、何でもなれると思うのは子どもの特権だ。彼女は、去年の夏までは、たしか、アシダマナちゃんにあこがれていてアイドルになるのが夢だった。それがクリスマスの頃には漫画家に変り、ピアニストもテニスの選手も登場したが、今また変っていたのか。風船に息を吹き込むように夢は、彼女の成長に合わせて、日々、大きく膨らんでいるようだ。
「しーちゃんは、ハンナみたいに小さいときは何になりたかったの?」
私だって子どものころには、いっぱい膨らませた風船があった。
「信じないと思うけど、私ね、小さい頃はかわいかったの。歌もうまかったし、そのころはアイドルっていわなかったけど、私は美空ひばりちゃんのようなスターになりたかった」
「へえ、そうなんだ。私の小さいときと同じだったんだね」
「でもね、大きくなるうちにいろんなことがわかってきて、アイドルはつまらないって思った。それで、その次には探偵とか、スパイとか、悪者をやっつける正義の味方になれるといいなと思った」
「へえ、すごい。でも、それもなれなかったんでしょ」
 と、孫は気の毒そうな顔をした。
「うん、探偵にもスパイにもなれなかった。でも、おかあさんになりたいなって思ったの」
「へえ、そうなんだ。それでハンナのダディが生まれたんだ」
 孫は満足げな顔をしたので、夢の話はそれで終わった。ほんとはおかあさんには、なりたくてなったのではないのだが・・・ハンナにはそうとはいえない。
 夢といえば、米国に住んでいたころ、友人の彼(アフリカン-アメリカン)の家に食事に誘われた。乱雑に物が置かれていて、足元には毎日食べているというTボーンステーキの骨がごろごろ転がっていた。かつてこれほど汚い家に招かれたことはない。テーブルの上に食事ができるスペースを作り、出てきたのもTボーンステーキ!英語での会話は途切れがちだったが、ふと、壁に貼ってある「I have a dream」とかかれた紙に目が留まった。私が訊ねるのも待たずに、彼はむしゃむしゃ食べている手を止めて、声たからかに暗唱した。
I have a dream」(私は夢を持っている)なんていい響きなんだろう。彼の解説によると、それは人種差別で苦しんできた黒人たちの悲願で平等に生きられる社会が来ることこそが夢だという。
マーチン・ルーサー・キング・ジュニアのワシントンDCでの演説の一部だということを話してくれた。家の汚さもステーキのまずさも忘れて聞きほれた。 
実現しそうもないのが夢だとばかり思っていたが、なんとそのときから二十年もしないうちに黒人の大統領が誕生した。演説をしたキング師も夢の実現に天国で狂喜したに違いない。誇らしげに「I have a dream」と語ったあのときの彼の眼差しが今も鮮明に思い出される。
 私が、夢を持たなくなったのはいつごろからだろう。「夢見る乙女じゃいられない」と、あきらめながら、おとなになってきたような気がする。いくつか掲げた風船が手から離れて飛んでいったり萎んでいくように夢が破れ、落胆したり失望を重ねながら生きてきた。もう、気力もあまりないが、ハンナの『しーちゃんの夢はなあに』に応えられるようにもう一踏ん張り。
『子どもたちが未来に夢をいっぱい描けるような時代がきてほしい』、これが私の生まれたての最後の夢。