花火

 花火                      長谷川静 
 八月七日、私の故郷の山梨県市川三郷町では『神明の花火大会』がある。今は花火大会も各地で盛大に催されるから、その座を譲ったが、神明の花火は江戸時代から日本三大花火大会の一つだったそうだ。市川は、和紙作りが盛んだったから、和紙を原料とする花火が町の産となったのだろう。
祭りの頃、祖母の家は花火師が逗留して旅館のようだった。広い土間に大きな尺玉が並んでいた光景を微かに覚えている。
最近は二十万人もの見物客が詰め掛ける。二万発の打ち上げ花火が間断なく天空に舞うさまは筆舌に尽くしがたい。花火の産地で生まれたせいか、私は花火が大好きであちこちに出かけた。真っ暗な空にヒュルルルルと打ちあがったその瞬間、夜空に大輪の花が咲き、光の花びらが降ってくるのがたまらない。
父母は毎年、神明社の祭りに実家のある市川に帰省したから、花火の宵は祖母の縫った浴衣を着せられ、手を引かれて決まって神社に連れていかれた。おもちゃや金魚すくい、綿あめやが並んだ小路は別世界だった。花火が始まるとドーンドドーンという音が雷のようで、恐がって祖母にしがみついて泣いたとか。それでも、彼女は嫌がる私を、花火見物に連れ出した。
小一の春、祖母は病の床から「神明さんには帰っておいで」という言葉を残して、夏の花火を待たずに旅立った。
二十歳のころ、早熟な女友だちに、中河与一の『天の夕顔』をすすめられた。話は、大学生と下宿屋の七つ年上の女性(人妻)とのプラトニックラブ。主人公は一人の女性を愛し続け、待ちに待って、二十三年目にようやく恋が成就しようとした時、彼女は病で天に召されてしまうのだ。男は『あなたがかって摘んだ夕顔の花を送ります』と、天国に近い北アルプスの麓から夜空に大輪の花火を華やかに打ち上げ小説は終わる。
そのころ、恋人だった夫に話したら「花火くらい望むところ」と豪語した。最近、天国に行く日も近くなったので、そのことを確認しようとすると愛も冷めたか、忘れたのか、生返事。もはや私のために天国に届けと花火を打ち上げてくれることは無かろう。それでも、ほろ酔いで帰ってきた彼が『静さんは花火が好きだったよね』と、お子様用の花火セットをぶら下げて帰ってきた。
 今年もまた、八月がやってくる。私も祖母の亡くなった歳を越えた。その祖母よりはるかに年老いた母のか細い声が電話口で「神明さんに帰っておいで」という。
母の声が祖母の声に似て、まるで昨日のことのようになつかしい。宇宙の時間の流れからみれば、ヒトの人生も、天空に舞う花びらのように、はかないものかもしれない。