旅は楽し

旅の醍醐味
人生そのものが旅であるともいわれるが、これまで修学旅行、新婚旅行、家族旅行、研修旅行などいろんな旅をした。私は、予定でがんじがらめの集団旅より、行きあたりばったりのひとり旅が好きだったが、年齢を重ねるにつれて、遠くにでかけるにはひとりは少々不安で、旅は道連れだろうと思うようになった。もちろん、連れにもよる。夫には悪いが気の置けない友人との旅が一番いい。連れによっては並みのワインに極上のカマンベールが添えられるように満足する。
歴史作家のN女史と秋田美人で才媛のM嬢とは、世代を超えた友情で結ばれ三十年来の知己である。春には三人でワシントンDCからバージニアと米国の東海岸を旅した。
先月、久々に三人で知人の出版記念パーティに出席するために静岡にでかけた。仕事はすべて夜のうちに終え、翌日はまったく自由。足の向くまま気の向くまま午前中はM嬢の希望で、世界文化遺産になった三保の松原に向かった。肝心の富士山は雲の中だったが、羽衣の松の下で安倍川餅に舌鼓をうち、ゆったりした気分に浸っていたが、突然N女史が「午後は、織田信長首塚のあるという富士宮の寺に行きましょう」と、いい放った。彼女が一番の先輩で何と言っても歴史作家の先生だ。いつものことだが、私たちは、「ハハァー」と平伏すしかなかった。
旅は時代を遡る。N女史によると1582年6月12日、本能寺の変で奇襲した明智軍は信長を自殺に追い込んだが、遺体を確認できなかった。そのため信長の墓所については諸説あって、当時の書物や後世の覚書が残されているが、未だ真相は明らかではない。信長に従っていた原志摩守宗安が 信長の首を介錯したあと、首を抱えて本能寺を脱出、山伝いに富士山の麓のかの地までたどり着き首を葬った。その場所が富士宮市西山本門寺だというのだ。
私たち二人はあわてて清水駅で観光案内や観光協会に問い合わせ、西山本門寺の載った地図は見つけた。しかし、調べた電話は通じず、廃寺なのか無人なのか情報がまったくない。とにかく富士駅東海道線から身延線に乗り換え富士宮駅で下車した。駅前でタクシー運転手に恐る恐る訊ねると『山の中だけれど、ここから三十分で行きますよ』と、いう。 
山道に入ると行きかう車はまったく無く、昼なお暗い林の中から追い剥ぎでも出てきそう。山をひとつ越えると家並みもまばらな集落があった。当地は戦国時代は武田信玄公の家臣の穴山梅雪の領地だったが、梅雪も本能寺の変の数日後に殺されたから、主君亡き後、ひっそりと時が流れたのだろう。人もまばらだったが、刈入れ作業をしていた。
山を背に立つ大きな寺の山門をくぐると、『西山本門寺・1343年開基日蓮宗』の看板があった。織田信長の首を葬るのには、格好の場所だと見た。寺の境内にはがっちりした鐘楼と、寺を守るように大イチョウがそびえ立つ。本堂の裏手に回ると、一角に四方を囲まれた大きな柊の木があった。「柊」は魔除け、祟り除けであることから、信長の祟りを恐れて墓にこの木が植えられたと女史は解説する。果たして信長本人が葬られているかは俄かには信じがたいが、女史に従って手を合わせた。
私は、柊の下を掘って遺骨のDNAを確認すればいいのに、という言葉をのみ込んだ。タイムマシンで時を越えて旅をすることができる時代が来るまで、そっとしておいたほうがいいだろう。はっきりしないからこそロマンをえがくことができるのだから。
行き当たりばったりの旅も、カマンベール付きだと思いがけないことに遭遇していよいよ好奇心を掻き立てる。私にとっては、これが旅の醍醐味である。