ひとつの楽しみ 

 物事を調べることが好きだ。知らない言葉や知らない話が出てくると俄然、好奇心が沸きあがる。解らないことに出会うと、心がワクワクしてくる。調べることは楽しく解ったときの喜びは何ものにも替え難い。
 子どもの頃は,読み物も少なく活字に飢えていて、読めるものは片っ端から、新聞も隅なく読んだ。新聞小説の中の『恋愛』という字が読めない、意味も解らない、と、祖母に話したら「子どもが読むものでない、そんな悪い言葉は知らなくていい」と叱られた。そういわれると、なお興味が湧いて、辞書でこっそり調べたが、何だかよくわからなかったように思う。
 新学期に教科書を渡されると、その日のうちに夜更かしして全部読んでしまった。授業は、知っていることばかりでつまらなかった。友達から本を貸してあげるから家に来ないといわれると、お菓子をあげるから・・・といわれるより心が躍って、その家に押しかけた。
 高学年になると、自分だけで知っているのでは飽き足らず、発信しようと新聞を作って配布したり、放送劇を作って全校に流したり。悪いことをしているはずもないのに、何かすると職員室に呼びだされる。受持からは『こんなことをするのはあなたが始めてよ』と、あきれ顔で言われた。先生には困った子だったのだろう。職員室は大嫌いな場所だった。
 好奇心は本で読むだけで飽き足らず、実験して確かめることを知った。学ぶならこれだと思い専攻したのは化学だった。最近は『リケジョ』とか言う言葉があるように理系で学ぶ女子も増えているが、そのころは工学部内には女子トイレが無くて隣の学芸学部まで走った。若い乙女がスッピンでしみだらけの白衣を着て、トイレに駆け込む姿は興ざめで、奇人変人と思われただろう。ただ、私は予測したことを実験で確認する作業は好きだったし楽しかった。
卒業して勤めたのが日立製作所のM工場で半導体化学分析、仕事のほとんどが他人の研究を実験で検証する補完的な仕事だった。三年間勤めたが、ラボに閉じこもる人生より、社会はもっと広くおもしろいかもしれないと、月並みに結婚をした。
 母親になって子どものためと、自分を騙して、昔なら図書館にもないような豪華な百科事典を買った。家の中で一番、豪華絢爛。紙が厚く写真がきれいで読み物のようにおもしろかった。子どもたちより、はるかに私が利用したし、楽しませてもらった。
 インターネットが私の生活の中に入り込んできたのは二〇〇〇年頃だったか。その中にウィキペディアという百科事典のサイトがある。ウィキペディアは詳しくは無いが、私が求めるくらいのことは、これで十分だ。何といっても重いのを引っ張り出す手間が無い。百科事典は役目を終え、今や『動物』と『数学』を残すのみになった。
 あるとき、TVから聞えてくる言葉に耳を止めた。「ただひたぶるに 生きし君」 というタイトルの番組で社会学者の鶴見和子さんの看取りの話だった。彼女は脳出血で病床につき、2006年に88歳で亡くなられるまでの十年間、闘病しながら自分の心象風景を和歌で表し続けた。病床で詠んだ数歌の中にあった一首。  
最後まで残れる欲は知識欲いまわに近く好奇心燃ゆ
  (山姥 鶴見和子最終歌集)
自分が死に行く様を好奇心を持って見つめる彼女、どこまで理性の人なのかと驚かされた。訪れる死までも、彼女にとっては得がたい知識であり、好奇心を燃え上がらせるというのだ。知る楽しみもこうなったら命がけになる。私は自分の好奇心の薄さを恥じた。  
とはいえ、凡人の私は彼女のようにはなれまい。せめて『残れる欲は知識欲』と言うところだけいただいて、好奇心を研ぎ澄ませながら、知ることを楽しんでいこうと思う。