シャル ウィ ダンス

 泉田さんは、苫小牧市のアマチュアダンス連盟の会長である。停年退社して、打ち込む趣味もなく過ごしていたある日、お連合いのりょうさんから、趣味で通っている社交ダンスのサークルに男性が少ないから参加して欲しいと懇願されて一念発起した。
 六十の手習いだから決して簡単な道だったとはいえない。公共施設を利用してのサークルで、練習を重ね踊ることの楽しさを体得した。ダンスは明るく健康的で、服装や身だしなみにも気をつけ、エチケットやマナーも大切にする。また、集まった人達と、会話を通してつながりができ、ダンスを始めたことで、多くの知人友人を得ることができた。そのことで、どれほど人生が豊かになったことだろうと、泉田さんは語る。
 十年くらい前、『シャル ウィ ダンス』(日本映画)が大成功して、ダンスが、健全なレクリエーション・スポーツとしてクローズアップされた。それ以来、公民館や町内会館はダンスサークルで埋まり、高齢期のダンサーが増えている。
  平成六年、泉田さんは、苫小牧市内のいくつかの社交ダンスサークルを組織化してアマチュアダンス連盟をたちあげた。当初十五サークルが参加、毎年定例のダンスパーティを開催し、十周年記念大会には、ダンス界の貴公子田中秀和プロ(『シャル ウィ ダンス』にも出演)が来苫、千五百名のダンス仲間が集い、会場は燃え上がった。
 七十歳になったころから、りょうさんが認知症をわずらった。ダンスの、そして人生のパートナーだ。物忘れがひどくなり、生活面でも支障をきたすようになったが、サークルやパーティに連れそってでかけた。フロアーに立つと、りょうさんの目が輝いて微笑が浮かぶ。スッテプも確かだ。頭ではない、身体が覚えていることの証だろう。今も、りょうさんは、介護サービスを受けながら、ダンスを楽しんでいる。
 一昨年、突然の病魔が泉田さんを襲った。不運にも両足首切断という結果になりダンスとの決別を決心した。五体満足であってこそのダンスだと思っていたから。退院して自宅に戻った泉田さんを待っていたのは、友人たちの励ましだった。
「連盟を維持するために必要だ。引退しないで会長として働いて欲しい」 この言葉に涙がこぼれた。車椅子の生活で不自由な身であるけれど、仲間のため、社会のために多少なりともお役にたちたい。自分のできる限り、多くの人々と、踊る喜びを分かち合いたいと、泉田さんは語る。
  四月二十二日、高齢者の福祉施設に、アマチュアダンス連盟の有志と特養を訪問した。ボランティア活動の一環で社交ダンスや日本舞踊を施設の入居者に披露する。その中に車椅子に乗ってメンバーをリードしている元気な泉田さんの姿があった。
 当年八十三歳、いつまでも現役で、生き生きライフをと心から声援を送る。がんばって、泉田さん!