詩人の妻

[えっ、あの谷川俊太郎がこの街に」

ライブに誘われたとき、私は、思わず聞き返した。谷川俊太郎といえば、その詩は国語の教科書で取り上げられ、作詞の歌が多く愛唱されている国民的詩人だ。だれもが知っている「鉄腕アトム」の主題歌『♪空を越えてラララ〜』は彼の作詞による。
私がチケットを買ったのは、ミーハー的だと誹られるかもしれないが、詩や歌を聴くことより、大ファンの絵本作家、佐野洋子と結婚したという谷川俊太郎という男をこの目で確かめたかったからだ。 
もう三十年前になるが、私は佐野洋子の絵本、「一〇〇万回生きたねこ」や『だってだってのおばあちゃん』が大好きで子どもたちに読み聞かせては自分も感動して泣いていた。彼女はそのころ、ベルリン留学から帰りフリーの絵本作家として自立、オートバイを乗り回し、自由奔放な暮らしをしていた。私は、子育て真っ最中の専業主婦だったから、大きなバイクに乗ってタバコを『フウー』と燻らせている彼女の写真を見たとき、なんてカッコいい女なんだろうと思い、秘かにあこがれていた。
その洋子さんが六十代になって、当然一人で生きていくだろうと思っていたのに、詩人と結婚をした。詩集『女に』(1991マガジンハウス)こそ、彼らのスィートホームだ。
黄色いエゾカンゾウが、街路を彩っている夏の夕べ、駅前通りのライブハウスに、谷川俊太郎は本当にやってきた。私は、妹が姉の結婚相手を品定めするような気持ちを抱えてライブハウスのドアを開けた。中がよく見えないほど照明が暗い。目が慣れてくると、老若男女がぎっしり座っていた。私は、運よくかぶりつきに陣取った。
目の前に現れた谷川俊太郎は、阿弥陀様の店主のつるさんと負けず劣らずのツルッパゲで、背の低い七十歳位のりっぱにおじいさんだった。洋子さん、この人の何処に惚れたのさ。この人に抱かれ、この人の前でハダカになったなんてバカみたいと、私は叫びたいのを堪えた。
ライブは、彼自身の自作の朗読と、ピアニストの息子、賢作をリーダーとしたベースとボーカルの三人のグループ『ディーバ』の歌との共演だった。
締め切った会場に、サッーと冷風が吹いたように澄んだ歌声が流れた。音符と融合した詩人の詩に息を吹き込まれ、聞こえてくる歌の心地よさ、なつかしさ。   
朗読にかわり、静まり返った会場に俊太郎の声が、音の波となって空気を震わせながら伝わってくる。強く、やさしく、かそけく、怒るように、そして甘くささやくように。幼児も少年も青年も壮年も、その心の中にすべての時代の言葉が潜んでいるような声で語りかける。ああ、洋子さんは、きっと、この詩人の魂から生まれ出る言葉とこの声を独り占めしたかったに違いない。うっとりしている間に親子の競演は終わった。
二十人くらいが残って、打ち上げパーティとなった。私の隣には、ニコニコしながら、縁側で日向ぼっこするようなおじいさんの顔になった俊太郎が座っていた。握手をした手がとても柔らかかった。洋子さんとのことを訊こうと思ったけれど、谷川ファンだらけの中で変なことを言ってはいけないと自制した。  
数年が経って、二人は晴れて離婚をした。いい言葉をたくさん頂き過ぎて食傷したのだろうか。やっぱり、洋子さんには妻は似合わない。
彼女のエッセイに、乳がんを煩い余命ニ年といわれと書いてあったが、昨年の十一月五日に亡くなった。ヨン様に身もだえし、ジャガーを乗り回していた洋子さん、七十歳で死ぬのが理想だった洋子さん、享年七十二歳。